共同体内の問題を解決する場合の目的

共同体内に問題がある場合なぜその問題を解決しようと思うのか?その目的は共同体を長期間維持し続けることをしたいがためである。もし共同体をそれほど長期間維持し続けようと思わなければ、たとえば後5年とか10年くらい延命すればいいと思うなら、問題をスルーしてなかったことにして見過ごしてしまってもよい。しかし長期間しかもかなり長い期間、たとえば100年後、たとえば自分が死んでしまった後未来の人たちのためにこの共同体を残しておきたいと思うならば、共同体内にある問題は解決しなければならない。その問題が後々共同体に悪い影響を与えて共同体自体を崩壊に導く可能性があると予測するためである。

共同体内の問題を解決すべきなのかすべきでないのかを決めるためには、その共同体をどれくらい長く生き続けさせたいと思うのかによる。

その共同体を長期間生き続けさせることを特に望まないのなら、問題を解決しない選択肢もあるのだ。

ところで長期間共同体を生き続けさせるとはどういうことになるのかというと、共同体は中身を変化させていくということになる。100年も保たれている共同体であれば、その共同体が最初にあった100年前と100年後では共同体の中身がかなり変わっているだろう。共同体内で共有されている大事な価値観は100年もたてば変わっている。メンバーたちも100年たてば代替わりが行われているのでかなり変わっているだろう。

長期間生きながらえている共同体というのはその時間の流れとともにいろいろな価値観や考え方を変化させてそれで生き続けることを可能にしている。

人は共同体を守りたい、存続させたいと願うが、長期間共同体が生き続けるということはその中身が相当変わっている、つまり変化を受け入れることをしたから生き続けることができたのだということを考えない。どちらかというと今の価値観を固定化したまま生き続けさせたいということを願う。しかし共同体が長く存続すればするほど最初の共同体とは中身が違ってしまっているのだ。

共同体内の問題を解決すべきかどうかを決めるためには、その共同体をどれくらい長期間生き続けさせたいと思うのかを考える必要がある。そしてより長く生き続けさせたいことを望むのなら変化を受け入れることができなければならないことを覚悟すべきだろう。

もし現時点の価値観だけに拘り、その価値観を持つ今だけの共同体を望むのなら、あえて問題を放置して短い間だけ共同体が存続することを望めばいい。つまり共同体が滅ぶ道を選んでもいいのである。